森永ヒ素ミルク⇒14年後に「守る会」製造物責任法⇒リスク管理一応整う
(記事全文転載)
戦後起きた食品の健康被害では、森永ヒ素ミルク事件(1955年)とカネミ油症事件が被害の大きさと深刻さで突出している。
森永乳業徳島工場で製造された粉乳にヒ素などの有毒物質が混入、西日本を中心に乳幼児がヒ素中毒になった森永ヒ素ミルク事件の被害者は1万3千人を超え、うち130人亡くなった。知的発達障害や身体障害などが残った人も多い。
発生から14年後の69年に被害者の追跡調査で深刻な後遺症が明らかになり、親たちの全国組織「守る会」が発足。国と森永、守る会の3者会談で被害者救済を図る「ひかり協会」(本部・大阪市)が設立された。
守る会の担い手は親から被害者本人になり、その多くが還暦を迎えた今、親亡き後の自主的な健康管理、被害者や支援組織のネットワークづくりが課題となっている。ひかり協会専務理事の前野直道は「これからは被害者の高齢化に伴う様々な問題に向き合っていかねばならない」と語る。
守る会は今年1月の機関紙に「事件から60年」の挨拶文を掲載。事件について高度経済成長政策の過程で起きた「企業優先、人命軽視の結果」と記した。
森永、カネミの中毒事件は製造物責任や消費者の権利という考え方がほとんどなかった時代に起きた。
製造物責任法が制定されたことで企業の責任は格段に重くなり、リスク管理の手法は発展した。BSE(牛海綿状脳症)問題を契機に食品安全基本法が制定され、食品の安全を脅かす様々なリスクを評価、管理する仕組みも一応整った。
ただ、どんな制度も、つくった時の志が薄れ、形骸化していく”リスク”は常にある。カネミ油症と森永ヒ素ミルクの被害者は「もう二度と悲惨な被害を起こさないよう、負の遺産を社会がきちんと承継していってほしい」と話している。