親たちのたたかい(全協のたたかい)
事件が発表されたわずか3日後には岡山県で、その後各府県に被災者同盟が結成され、9月18日には9府県組織の代表が集まり「森永ミルク被災者同盟全国協議会」(全協)が発足しました。全協はさらに組織を拡大していき、森永に対し子供の回復と補償を求めて交渉を進めました。
五人委員会と全協の解散
しかし交渉は難航し、やがて厚生省が委託した学識経験者5人による「五人委員会」が「死者25万円、生存者1万円」などを盛り込んだ意見書を出し、解決を図りました。森永に都合の良い案に対し被害児の親たちは納得せず、交渉を申し入れたが森永は拒否しました。こうして親たちの運動は困難に直面し、1年後の精密検診実施などを盛り込んだ妥結案を受け入れ、全協は解散しました。
1年後の精密検診と西沢委員会
事件発生からほぼ1年後に厚生省の指示にしたがって各府県で検診がおこなわれました。厚生省の依頼により、大阪大学西沢教授を会頭とする委員会(西沢委員会)はひ素中毒患者の診断基準・治療指針を作成し答申しました。しかし、その治癒判定基準は極めて簡単なもので、数年で全員が治癒したという結果になりました。
こうして、親たちは子供の健康と生育に不安を抱きつつも、「全快」の診断を信用して、以後全国的な運動を起こすことはありませんでした。
<「14年目の訪問」に続く>