本部交渉の推移
守る会の「恒久対策案」決定を受けて行われた第14回本部交渉の席上、森永の大野社長は反省の姿勢を見せながらも「森永乳業の加害責任は認められない」などの回答をしました。
さらに、その後15億円の補償で打ち切ろうとしたり、次回交渉に社長か専務の出席をという守る会の要求を受け入れなかったり、恒久対策案を全面拒否する姿勢に出てきました。
こうして、守る会の怒りは爆発し、不売買運動と民事訴訟の決議をあげました。
民事訴訟の提起
第一波は1973年4月10日に大阪地裁へ、第二波は8月24日に岡山地裁に、第三波は11月24日に高松地裁にそれぞれ訴状を提出しました。
この訴訟は、恒久対策案の実現を目的とするものであって、原告個人が損害賠償金を受け取るためのものではありませんでした。中坊公平弁護団長は後日「この訴訟は救済を実現する手段ですから、実質的な事件の依頼者は守る会となっています」と述べています。
こうして、裁判は原告に有利な形で進みました。
不売買運動
これまで各地の支援団体が自主的に取り組んでいましたが、守る会は時期が熟していないとして、慎重な態度をとっていました。しかし、森永の態度に怒りを爆発させた守る会は国民に広く呼びかけ、あっというまに日本の不売買運動史上最大といわれる規模にひろがっていきました。
この運動は、森永の経営に大きな影響を与えました。
<「三者会談の開始と確認書」に続く>