このページは都府県本部や支部の活動紹介をするページです。本部事務局へ活動報告(できれば写真付きで)を送ってください。お待ちしています(*^_^*)
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愛媛県本部 森元昌雄
愛媛県は東西の長さが約156km・南北の長さが約157kmと広く交通機関もJRの特急が1時間に1本と交通の便も悪いため、守る会の支部は東から東予支部、今治支部、中予支部、南予支部と4つの支部で構成されています。自主的グループ活動は広さと交通の便が悪いことから大きな会合に合わせて少しでも多くの被害者が集まるようにしています。今回も2019年度現地交流会に併せて第1回自主的グループ活動を開催しました。今年は10月27日(日)、各支部持ち回り制で愛媛県の東にある四国中央市新宮町の霧の森公園にお邪魔しました。私の住む南予の八幡浜市から158Kmあり車で約2時間の距離にあります。霧の森公園内には多数の施設があり、まず「交湯〜館」では参加者25名を5つのグループに分け「ポッチャ」の体験で楽しみ、第二次10カ年計画総括案の講義で眠たくなった後宿泊場所である木の香りと温もりを感じる山小屋風コテージに移動し荷物を置いた後レストランで川魚などの山の幸を楽しみながら自己紹介も交え楽しい時間を過ごしました。翌朝、自主的グループ活動を有志8名の参加で自然に囲まれたお茶どころ新宮の緑の谷間に広がる「霧の森公園の散策」を開始。参加者が美しいせせらぎに癒され、ゆったりとした時間に身を置き頭の中をオフにして公園内を散策しました。被害者同士が日頃話すことができなかった近況を話し合う事により今まで以上に身近なミルクのみ仲間になりました。初対面の被害者の参加もあり少しずつですが連帯の輪が広がりました。散歩コースは短い距離でありましたが起伏もあり楽しいイベント会場では多数のプチ店舗が催し物をしていたり産直品売場では珍しい食材が陳列されていたり「どき、どき・わく、わく」楽しみながら健康づくり!仲間づくり!ができました。 また、全国で有名な「霧の森大福」を味わうこともでき心身共に癒された一日でした。
愛媛県の皆さん来年は南予での開催です。まだ、一回も自主的グループ活動に参加していない方は、まずは交流会に参加して会員の楽しい雰囲気を体験した後、自主的グループ活動に参加して下さい。お待ちしていますー。
『第50回県本部総会50人超えの参加者で』
兵庫県本部
50回の節目の総会は51人という過去最多の参加者(うち会員43人)で、神戸市立兵庫勤労市民センターにて7月7日に開催された。
進行は藤原氏、亡くなった4人の会員の皆様の冥福を祈り黙祷、その後内海氏が議長に選出され、委員長・来賓挨拶。
報告では、①支部が5から2に再編され、役員体制も一新され新たな動きが始まっている。(新役員がふれあい活動に参加するなど)②西支部活動『竹田城で花見をしよう』(参加18人)に他支部からの応援もあり、事前の準備に多くのメンバーが加わり、車椅子のKさんも一緒に登れたことは大きい。③入会14人を含む会員数は242人となったなど。
活動方針・予算については、①医療費や福祉などは自治体間格差が大きく、また人によって必要としていることが違う。そのような個人差にも対応できるのか? (回答)三者会談や県の行政懇談会へ意見要望として出している。個々の必要なサービスについては、専門家の意見を聞きながら対応してもらうように今後も出していく。将来の自分のためにいろいろな活動をして今後ますます守る会の団結力・パワーを強くしたい。②会計予算で費目により「0」のところがあるが、実際に支払いが必要なときに使えないのでいくらかでも計上した方がいいのではないか? (回答)次回からそのように計上する。
また、県本部50周年記念行事として、総会の後、『郷地秀夫先生を囲む会――今被害者に伝えたいこと』、10月18日に『森永乳業神戸工場見学会』を企画したところ、どちらも予想を超える参加者となった。
『今被害者に伝えたいこと・・・・を聞いて』
この度50回目の県本部総会を記念して郷地先生のお話を聞く機会に巡り会えたこととても嬉しく思っています。
若い頃は自分のことなのにあまり関心がなく他人事のように受け止めていました。両親は被害者の証である手帳交付のために、幼い弟妹の世話をしながら以前住んでいた和歌山に何度も連絡を取り、やっと交付されたと聞いています。今の私には感謝することしかできません。
今回の郷地先生のお話にも知らなかったことがたくさんありました。
当時混乱の社会情勢の中で、郷地先生を始め保健婦や看護婦などの医療関係者・養護学校の養護教諭・大学の教授の方々など異なる立場であったにもかかわらず、膨大な資料収集から始まり、飽くなき追求心と熱い熱い思い、まっすぐな慈愛に満ちたまなざしで我々ミルク仲間のためにひかりの道筋を示し、恒久救済に至る道を助けて下さいました。世の中の偏見も何のその、貴重な時間を費やし真相に向けて行動していただいたからこそ、今私たちは他の公害被害者の人よりも、手厚い保護の下で救済を受け安定した生活を送ることができています。この活動に携わっていただいた方々のお陰です。ただただ頭が下がる思いです。
お話を聞いて、今更ですが、当たり前のように過ごしてきた自分が恥ずかしくなりました。改めて先人の皆様の努力や無償の愛があってこその今の生活なのだと感謝しなくてはなりません。
今後私たちは、ミルク仲間の存在をもっと理解し、微力であっても地道に協力しながら、時には声を上げ、活動を広げていくことが大事だと思います。不安な年齢に突入しますが、自分なりの方法で活動を継続していくことが先人の方々への恩返しであり、尊い思いの継続となっていくでしょう。
先の全国総会で前野ひかり協会理事長が、『事業計画書を提出する度に何回も見直し、これでいいのか?不足はないか?この予算で大丈夫か?毎回震える思いで慎重になる』と話されていました。ありがたいなと、大切にしたい言葉だと思いました。
私たちは様々な援助を受けています。でもそこに甘んじていてはいけないのです。ここに至るたくさんの方々の尊い思いがあり、それに守られ支えられていることを忘れてはいけないのです。ミルク仲間と一緒に今後も楽しく活動が続けていきたいと願わずにはいられません。先人たちの皆様、職員の皆様ありがとうございます。そしてミルク仲間たち、これからもずーと一緒に頑張っていきましょうね♡ (O.Y)
第49回県本部総会・講演会
現地交流会行う!!
(於)みなべ町
和歌山県本部委員長 堀端 勝之
2019年7月20日(土)14時~21日(日)11時30分まで、みなべ町「紀州路みなべ」を会場に開催しました。来賓8名含めて32名の参加で行われました。
内容は、講演会、県本部総会、夜の文化ミニ交流会、翌日の60歳の時に5年後の自分に書いた「65歳の君へ」をもとにした懇談交流会です。
7月20日(土)14時~15時30分
講演「寒川利朗さんの生き方から学ぶ」
細見龍夫氏(ひかり協会元・業務部長)
細見さんは、寒川利朗さんの追悼集資料等講演教材を準備し、守る会和歌山県本部の初代事務局長、ひかり協会初代業務部長をされ、今の救済事業の土台、守る会和歌山県本部を立ち上げてくれた寒川利朗先生の生きた姿を語ってくれました。
寒川先生は、被害者の親ではありません。龍神村村内で小学校教員をしているとき、障害を持つ森永ひ素ミルク中毒の被害者に出会い、「14年目の訪問」以降、企業、政府の責任が追及されだしたとき、教職を離れ、2年間の休職をとり、龍神村に住む家族と離れ、和歌山市にある教育会館のせまい一室に守る会の事務所を設け、守る会和歌山県本部を立ち上げられました。理不尽な企業、行政の責任を追及し、乳児期にヒ素入りミルクを飲まされ、障害を持たされた子どもたちがいる。この子たちを救わねばという人道的な心、強い社会正義の心を持ち、2年間無給で和歌山の被害者の親をつなぎ、闘争を行う守る会運動を構築していったのです。
和解が成立し、ひかり協会が発足したとき、教職を辞し、初代業務部長として、協会運営の基礎を作る仕事をされました。このときの激務が寒川先生の健康を害することになり、病気休職から一度は復職するが、十分な健康回復には至らず、ひかり協会を退職されます。
家族と離れ10年間生活し、守る会運動、ひかり協会事業の基礎作りを行うも、健康を害し、退職後は、故郷龍神村へ帰り、数年間は、元気で生活されますが、病に倒れ、67歳という年齢で逝去されました。
守る会和歌山県本部、ひかり協会の救済事業が今あるのは、寒川利朗さんのすぐれた業績といっても過言ではありません。和歌山県本部の被害者は、今回、寒川利朗という人の生き方を学び、深い感銘を受けました。
感想の一部を紹介します。
○被害者の親でもない寒川利朗さんが本職を休んで、守る会県本部を立ち上げたりする際の苦労がよくわかりました。その結果、家族が離れ離れになり、特に自身の健康を害し、やや短命に終わったということで、誰もができることではないと思いました。このような人がいたからこそ、現在の守る会和歌山県があるのかもしれません。
○細見様、今日は本当にありがとうございました。講演を聞かなければ、寒川先生のお気持ちやご家族の方のご理解をあまりにも知らないでいました。
涙が出てきました。申し訳なく思いました。
だからこそ、私たちは(ミルク仲間は)これからも協力し合い、健康に気遣いあっていかなければならないと強く思いました。そして、事件を風化させないようにしていきたい。皆様の本当に強い信念がなければ、“森永ヒ素ミルク中毒患者”としての私たちはなかったのです。
○被害者自身の自分があまり深く考えることもなく、現在を迎えていますが、改めて、知らないところで多くの方の御苦労があって、今、生があることに感謝します。これからの人生を大切にしなければと思います。
講演会終了後、第49回県本部総会を開催し、
全国本部の方針を受けて、和歌山県本部も二つの大きな柱を提案し、満場一致で方針が採択されました。
「救済事業の推進に責任を持つ活動を進める。」「組織強化の取り組みの充実発展をめざし、救済事業を進める核となる守る会の強固なつながりをつくる。」です。
被害者どうしの仲間の輪を広げ、互いに健康を守り、救済事業を進める守る会の力が、更に強くなるよう、協力を訴え閉会しました。
大阪府本部 矢部 千惠
昨年の12月23日から26日まで大阪駅前の大阪市生涯学習センターギャラリーで、私たちのミルク仲間である渡邊義広さんの初の書展が開催されました。「ナベちゃんの夢を叶えよう」仲間から上がったひとつの声が、長年の夢の実現に向けて動き出すきっかけとなりました。
渡邊さんは重度の障害があり、就学免除で学校に行けませんでした。現在は24時間の介護を受けながら一人暮らしをしています。渡邊さんが初めて筆を持ったのは48歳で入学した夜間中学の4年生の時。自由の利かない手で必死に筆を持ち「風林火山」と書きました。初めて一人で書けたという喜びと達成感が書への意欲につながり、今まで書き続けてきました。そしていつか個展を開きたいという思いを募らせていました。
昨年5月、大阪の被害者が集まる恒例のバーべキュー大会の時に、岡山に引っ越す仲間に贈った『生涯青春』の書のことが話題になり、盛り上がりました。「そうだ、ナベちゃんの夢を実現させよう!」という声が上がり、濱田さんが発起人となり一気に動き始めました。すぐに実行委員会を結成し、会場探しや開催費用のカンパ活動や案内状作成を分担。作品の追加の制作の手伝いや展示のための作品の表装や裏打ちは書の知識を持つ塩田さんが力を注いでくれました。額縁や掛け軸は持ち寄りで、ギャラリーへの搬入から展示のレイアウト、そして渡邊さんの歩みのパネルも作成。手作りの書展でした。
書展には渡邊さんが夜間中学時代から定時制高校、デイサービスに通う現在までに書きためてきた約40点が展示されました。「渡る世間は神ばかり」「生涯青春」「人生大笑」渡邊さんの人生への思いを書に込めました。全身の力を振り絞って書いた書は、どれも力強さに溢れていました。
この書展のことは三大新聞にも大きく取り上げられ、その効果もあって4日間の来場者数は223名。そして開催中は会場での書の実演も行いました。重度の障害のある渡邊さんにとって一文字書くのも相当な負担で時間も想像以上にかかります。額に汗をにじませ、全身の力を振り絞って書く姿に、来場者からは感嘆の声と拍手が沸き上がりました。
長年の夢だった書展を実現した渡邊さんは「夢が叶ってうれしい。皆が僕の夢の実現のために動いてくれたので頑張らなければと自身を奮い立たせました。夢はみるものではなく叶えるものです。仲間の皆さんありがとうございました。」と感謝を言葉にしました。そして次の書展への夢を馳せて、渡邊さんは今日も頑張っています。
6月2日朝、ホテルを出るとポツリと雨。
「予報は晴れだし、晴れ男なんだけど…」と思ってたら、皆さんが集まる頃には、青空が広がり爽やかな天気に。やっぱり、北海道はこうでなきゃ。
北海道での現地交流会も2年目(昨年は健康懇談会)。今年は、道庁の緑が目の前に広がるレストランでの懇談からスタート。今日のために九州から駆けつけてくれた森園さんの司会で、自己紹介と近況報告。ランチを食べながらの懇談は、雰囲気を一気に和やかにしてくれる。初参加の野口さんとも会話が弾む。
1時間ほど楽しい時間を過ごし、場所を北農健保会館に移す。ひかり協会早坂さんから関東ブロックの概要説明があり、今回は、NHKのETV特集「弁護士中坊公平 森永ひ素ミルク事件」を視聴する。内容は、被害者救済に尽力された中坊公平先生自ら、弁護士人生の転換点となった事件を回想しながら、どの様な視点で事件と向き合ったかを語っている番組である。それまでの、「裁判に勝つことが弁護士の唯一の生きる道」との考えが、事件の現場を見て回るうちに、「法がどう適用されるか、道理というものがどう発揮されるかと言うことに意味があるのではないか?」と思う様になり、弁護団の弁論を終える際には裁判長に対して「訴えを提起しましたが、裁判に勝つのが目的ではありません。どうか、森永も国もこの被害者の実態をよく見ていただいて、1日も早く救済のために立ち上がってください。」と申し上げたと…。
私には事件の記憶がありませんが、これだけ多くの人々を動かした事件は、被害者にとって、親にとって、どれほど悲惨なものであったかと、改めて感じることになりました。
視聴のあと、皆で意見交流を行い、DVDの感想、事件のこと、自身の身体のこと、これからの人生について、ひ素とは関係のない年相応の話題など、時間いっぱい語り合うことが出来ました。
「次の世代にどう語り継いでいくのか?」「何をどう語り継ぐの?」「まずは身内から」「子供にすら詳しく話したことは無い」「公共は開発で成立するもの。公共と法と秩序は?恒久救済の本質の変化と目的は常に考えなければならない」「親が、子供に毒を飲ませたという責に苛まれながら、我々を育ててきたことにあらためて思いを至らせなければならない」「親の死と自分の死とひ素と生き様とを語る必要性を理解しておくべき」などなど、多くの意見をいただきました。
北海道には10名の被害者がお住まいで、今回、被害者が5名とその奥様が2名参加くださいました。参加いただいた大西さん、小野さんご夫妻、坂口さんご夫妻、佐川さん、野口さん、ありがとうございました。来年も元気で会いましょう。
色々あったと思うけど、63歳を過ぎ、こんな日があって「なまら、ええんでないかい!」
(東京都本部 長峰 岳徳)
猛暑もなんのその、県本部総会に集まったぞー!
滋賀県本部 大谷 和雄
連日35度をこえる猛暑日が続く中、ばっちりクーラーの効いた大津のコープ膳所を会場に、7月16日第47回守る会滋賀県本部総会が開かれました。遠くは静岡からの仲間も含め、11名の会員と厚地センター長をはじめひかり協会の職員の皆さんや田辺救対委員長などの来賓もお迎えしにぎやかな会になりました。
活動報告、決算、活動方針、予算などについて審議し、すべて提案どおり可決。その後、田辺救対委員長のお話を聞きしました。田辺さんのお友達の公文和子さんという方が代表をされている、アフリカのケニアにある「シロアムの園」という障がいのある子どもたちの支援施設へ昨年7月に行かれたときの話です。ケニアでは貧富の格差が大きく、障がい者への福祉施策の全く不十分な中で「シロアムの園」へ通ってくる親子。子どもたちの目は生き生きしていましたし、日雇いの仕事をしながら子育てをしているお母さんらの癒やしの場にもなっているようでした。
お話を聞いた後は、各会員の近況報告。聴覚障がいのあるIさんも参加していたのですが、音声を文字に変換するソフトの入ったスマホを使っての交流。ソフトはまだ発展途上ですが、なんとか話の趣旨は伝わった?ようでした。
P.S. 午後は常任委員会で、今年度の計画を話し合った後、岡山の守る会が制作されたひ素ミルク事件のDVDを視聴しての学習も行いました。いやー、ひさしぶりに充実した一日になりました!
第52回 京都府本部総会 報告
京都府本部常任委員 佐藤浩子
西日本の記録的な豪雨災害に続き、記録的な猛暑になった7月15日(日)に、府本部総会を日本生命京都三哲ビルにて開催しました。
今年度は総会に先立ち2つの取組みをしました。
1つは案内の出欠はがきにアンケートを実施したこと。(学習したい事、仲間と行きたい所、やってみたい事、健診について)
2つ目は総会前に支部交流を実施したことです。
アンケート結果は今後取り入れていきたい内容が多く記載されており、今年度の守る会の活動に大いに参考になるものでした。また、支部交流では、いつものメンバーだったけど活動の内容がまとまった支部や、時間をオーバーして盛り上がっていた支部など有意義な時間でした。総会には出席できなくても、仲間の「声」が届く機会を、どんどん作っていきたいものです。
さて、総会には守る会員24名、来賓・職員を含め31名の出席がありました。
来賓の方々からは、今回の豪雨災害の被害について、また65歳問題などに触れられ、守る会の活動がますます重要になってくる、継続発展していくようにと、激励と連帯のメッセージを頂きました。
協議の中では、ひかり協会の第二次10ヵ年計画に基づく活動について、守る会としての責任の持ち積極的に関わる事。また、被害者同士のつながりを強化していくための支部活動と協力員活動の充実。障害のある仲間を中心とした「ふれあい活動」や地域の居場所の取組み。そして行政協力での具体的対応についてなどが確認されました。
意見としては①他団体との連携した活動の方針に対し「連携している団体のHPを確認すると、2013年以降更新されていない。活動実態も見えない状況がある。分担金を出している守る会として責任もあると思う。対応をしてほしい」との意見。役員より「京都で唯一の障害差別のない歴史ある団体であり、守る会として長年協力してきている。活動実態がないわけではない。HPを確認し、改善に向けて対応していく」と回答。 (守る会全国本部のHPも、久しぶりに閲覧してみようと思う筆者でした)
②「全国本部の四役に女性がおられない状況が続いている。現代社会の在り方からみても好ましくない。女性が役員になれる環境づくりを希望する」と言う意見。数人から発言もあり、常任理事経験者から「これまで四役に女性がおられたこともあった。確かに長年に渡り、熱い思いで守る会の活動を担ってこられたのは男性が多く、必然的に4役に男性がなられたと思われる。ただ、全国常任理事には女性が多くなり、今後は変化していくことも考えれる。御意見は本部に伝えていく」と回答。
率直な意見が出され、有意義な総会になりました。
最後は、一人ひとりが守る会に責任を持ち、救済事業の発展と組織拡大に向けて活動を進めていこうと、確認して終了しました。森永乳業(株) 神戸工場の見学
岡山県本部 入屋 健二
2017年度 県本部の初めての2支部合同支部活動として、10月5日(木)、 兵庫県神戸市灘区にある『森永乳業(株)神戸工場の工場見学会』を実施し総勢22名の参加者が、熱心に学び貴重な時間を過ごしました。
まず、工場に到着しますと、工場見学の案内スタッフの方々には丁寧にお出迎えいただき、おなじみの乳牛キヤラクターが沢山いる玄関前の芝生エリアにて全員で記念撮影。その後、コンファレンスルームに移動し、工場概要についての説明と牛乳・乳製品ができるまでの製造工程を、ビデオ映像で分かり易くプレゼンしていただきました。
そして、いよいよ工場見学となり、ショールームを通り抜け大きなガラス窓の見学通路から、実際にクリーンな室内環境の中で自動化されたラインで、製品が製造されているところを見せていただきました。参加したメンバー全員興味津々で、各種乳製品を見れば、これいつも食べているモノだ! これ美味しいよ! そして製造工程に目を移せば、人の手が触れることなく全自動化された工程に、人が少ないね! 綺麗な工場だな!といった声が聞こえてきました。まさしく、私達ヒ素ミルクの被害者が最も関心のある安心・安全な製品づくりという点において、最新の技術に裏打ちされた、徹底した衛生管理活動を愚直に推進されている現場を肌で感じることができました。食品業界では、これ以上ないと言われているHACCP(ハサップ)を超えるレベルの品質保証システムも運用されており、危害要因分析を重視し、未然防止と再発防止を徹底することで食品安全と品質を確保している。との説明をお聞きし安心と同時に感心した次第です。加えて、地球の環境問題にも積極的に取り組まれておられることにも、理解を深めることができました。工場見学は、約90分程度でしたが、様々なことを学び体感する事ができ、初期の目的は達成できました。ヒ素ミルク事件を風化させないことは勿論ですが、縁ある森永乳業(株)が、今後も継続的な品質向上を目指し、益々生成発展されることをお祈りすると同時に、ご対応いただいたスタッフの皆さんに感謝しつつ帰路に着きました。
二点目に、今回の裏メニューですが、交通手段として新幹線でなく岡山駅から神戸灘駅までJR本線を使用しました。乗り換え回数も最低3回で片道所要時間は約2時間30分、往復で約5時間の旅程です。実は、この時間がとても大切で、平素ゆっくりと話が出来ないメンバー相互に、車窓から流れる秋の景色を眺めながら、小旅行気分も味わえて会話もはずみ、あっと言う間の移動時間で、コミュニケーションの活性化による相乗効果も生まれ、守る会での新しいミルク仲間も増えた様に感じます。
今後も、この活動がより多くの方が気軽に参加出来る様に、継続的な活動にできたらと思います。
「14年目の訪問」40周年記念シンポジウムの記録画像を配信中
(「事件と被害者救済」の一番下のページを開いてください。)
ひかり協会ホームページもご覧ください
● 60周年記念冊子(還暦記念誌)500円で頒布中。お申し込みは、06-6371-5304(守る会 平松)まで。どなたにでもお分けします。
● 記事内容で個人名が書かれているものもあります。お名前の削除要請については上の電話番号までご連絡ください。