三者会談の開始と確認書

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三者会談の開始

三者会談の打診

訴訟が原告(守る会)側に有利に展開し、不売買運動も大きく進む中で、1973年7月に厚生省の山口政務次官から「被害者の恒久救済を早期に実現するために話し合いのテーブルにつかないか」という打診が守る会側に対してありました。

守る会は、①森永が因果関係を認める立場に立つこと ②国が未確認被害者の確認と被害者証明書の発行をすること の2つを前提にしなければ話し合いはできないことを伝えました。それに対し、斉藤邦吉大臣は、被害者証明書の発行を指示し、「森永と会ってほしい」と熱心に要望してきました。これに応えて、すぐさま山口次官ら同席のもと、大野社長と会見をして守る会の見解を述べたところ、社長は「因果関係を認める立場に立つ」ことを約束しました。

 

三者会談の開始

その後まもなく森永から「守る会の恒久対策案を包括的に認める立場に立って、誠意を尽くさせていただくことを確約申し上げます」という書簡が届き、厚生省からも「大所高所に立ちこの場を活かされるよう期待します」という書簡が届きました。

これらを受けて守る会は全国理事会を開催し、話し合いの場につくことを承認しました。こうして、厚生省・森永・守る会の三者は被害者の救済という共通の目的に向かって三者会談を開始することに合意しました。

 

三者会談確認書の締結

1973年10月12日に第1回の三者会談が開かれ、改めて国と森永の基本姿勢が確認されました。厚生省は単なる仲介、あっせんの立場でなく、被害者の立場に立って話し合いを進める、森永は救済に要する資金等について企業として最善の努力をすることを確認しました。

3か月にわたりお互いの誠意を確認し合った結果、ついに12月23日に確認書が調印されました。

この内容は、①森永乳業は事件について、企業の責任を全面的に認め謝罪するとともに、被害者救済の一切の義務を負担するなど5項目について確認したものでした。これは、公害被害者団体が加害者と国との三者で共通の責任をもって救済事業を具体化する体制をつくりあげたものとして、我が国の公害史上に重要な意味をもつものでした。また、裁判や法律によらない独特の解決方法であり、確認書は40年以上たった現在でも生き生きとその生命力を発揮して、救済事業継続の原点となっています。

<「ひかり協会の設立」に続く>

 

厚生省発行の被害者証明書
確認書に調印し握手する三者の代表
三者会談確認書(画像をクリックすると大きくなります)

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